【特集】富山英明監督のゲキに応えた銅メダル…男子フリースタイル60kg級・高塚紀行【2006年9月27日】






 全選手が試合を終えた男子グレコローマン選手、そして前日に広州入りした女子チームが観客席で見守った男子フリースタイル60kg級の3位決定戦。高塚の気合の入ったクリンチからのタックルで、昨年の欧州王者がマットの外へ飛び出た。昨年の大会でメダルを取れず、03年世界選手権、アテネ五輪と続いたメダル獲得が途切れた日本男子に、わずか1年でメダルを取り戻した価値ある1勝。初出場の高塚紀行(日大)が、日本の上昇ムードを取り戻した
(右写真=3位決定戦に勝ち、雄たけびをあげる高塚)

 「安心しました。まだメダルの実感はありませんけど…」。マットを降りた高塚は、5試合にわたる激戦の疲れもあってホッとした表情。大会前から腰は万全ではなく、試合をこなすうちに左ひざの裏側に痛みも走ってきた。

 しかし相手は敗者復活戦を勝ち上がってきた選手で、3位決定戦の前2時間の間に2試合をこなしていたのに対し、自らは前の試合との間が4時間以上もあった。「自分の方が有利だった。絶対に負けられなかった」。コイントスを2度とも取るという運もあったが、運を引き寄せるだけの気合の入ったファイトで勝ち取った銅メダルだった。

 1回戦から気合が入っていた。脚がよく動き、タックルが次々と決まったファイトは上位進出を予感させるに十分な内容。アテネ五輪55kg級王者で1階級上げてきたマブレット・バティロフ(ロシア)と昨年優勝のヤンドロ・クインタナ(キューバ)が反対側のブロックという組み合わせのよさも、高塚の快進撃を後押ししてくれた。

 3回戦のジェルゴ・ウスレル(ハンガリー)戦では左目上を切ってかなりの出血をしながらも
(左写真)、気力を振り絞りラスト3秒で逆転勝ち。気力十分だった。

 それでも、過去経験したことのない午前中で4試合という壁が高塚のファイトにブレーキをかけた。準決勝のムラド・モハマディ(イラン)戦。それまでの闘志あふれるファイトが影をひそめ、アンクルホールドになすすべもなく回るなど、気持ちが乗っていないことは一目瞭然。「4試合はきつかった。疲れが出てしまった」。

 ここで日大の監督でもある富山英明総監督からの雷が落ちた。準決勝のあと、取り囲もうとする報道陣をさえぎって高塚をウォーミングアップ場へ連れて行くと、「何だ、あのファイトは!」と一喝。「腰が痛いのは分かるが、気力が足りない。若いんだから気力で行かなければ勝てないんだ!」というゲキが飛んだという。

 富山総監督は「準決勝までいったことで満足の表情があった。それでは勝てないと思った」とその行動を説明する。このゲキに高塚の負けじ魂が再点火した。3位決定戦まで4時間以上あったこともあり、気力が再び戻って臨んだ3位決定戦。試合直後は「まだ実感がありません」と話していたが、紛れもなく歴史に名前を刻んだ価値ある1勝。このメダルが、北京オリンピックへ向けての日本チームの起爆剤になることは間違いないだろう。

 大会前は、メダルの期待は初出場が5人というフリースタイル・チームより、ベテランの多いグレコローマン・チームの方が大きかった。そんな予想を覆す初出場の21歳の快挙。「グレコローマンの選手は、みんな研究されていたと思います。自分は初出場なので、マークされていなかったからではないでしょうか」。あくまでも謙虚に話す高塚は、「3位決定戦では自分の持ち味が出せなかった」と厳しく自己採点し、「これからはマークされる立場。自分の技を磨いて、おごることなく、常に自分のレスリングが出せるように練習したい」とも言う。

 時おり言葉がつまり、涙を必死にこらえている様子がうかがえるインタビューだった。「富山監督はこちらに来ているので、霞ヶ浦高校の大沢監督と吹田市民教室の押立先生に報告したい」。吹田市民教室で幼稚園時代からレスリングを始め、常に勝つことを求められてやってきた18年間の思いがよみがえってきたのだろう。

 だが、この銅メダルで満足してはいけないことは言うまでもない。目指してほしいのは北京五輪での金メダル。そのことは本人も十分に承知しており、「オリンピックは自分の中で一番の大会。世界大会も大きいけど、オリンピックは4年に一度しかなく、そこで成果を出せる人がすごいと思う」。目標とする富山監督
(右写真)の後を追うべく、今後も努力を怠らないでほしい。

(取材・文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)


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