【特集】初めての世界の味は苦かった…男子フリースタイル55kg級・田岡秀規【2006年9月27日】







 満身創痍の状態で迎えた男子フリースタイル55kg級の田岡秀規(自衛隊)の初めての世界選手権は、初戦敗退に終わった。持病の腰痛を抱えながら、6月の明治乳業杯全日本選抜選手権で初優勝。25歳にしてやっとつかんだ世界への切符だった。だからこそ上位進出を狙っていたが、田岡の気持ちに対して、体のほうは思うようについてこなかった。

 仕上げの全日本合宿中に左の肋骨と左足首も痛めてしまい、大会前日の計量後、「けが以外は大丈夫なんですけどね…」と苦笑しながら万全じゃないことを明かした。しかし田岡はいまや軽量級の新エース。けがを乗り越えて日本にメダルを持って帰るのが使命であり、「金メダルしか狙っていませんから」と、けがをしているにもかかわらず世界一を目指す姿勢を見せていた。

 その自信は世界選手権のために磨きをかけてきた田岡式タックルの完成度が高まったから。「とにかく前に出て相手が出てきたところにタックルを仕掛けたい」。けがをしていても、自分のレスリングさえできればメダルは獲れると確信していたのだろう。

 しかし1回戦のゲナディ・トゥルベ(モルドバ)戦ではこの作戦が裏目に出る。「前に出て相手が反発してきたところでタックルを狙う」とぐいぐいと前に出るが、肝心の相手が反発してこない。「相手が出てこないので、前に出るのが怖くなった」と思い切りを欠いてしまった。第1ピリオドでは場外際の投げの打ち合いで1点を奪ったが、その後は防戦一方。「世界選手権で自分のタックルを試したい」と目を輝かせて抱負を語っていた田岡が、そのタックルは一度も出すことなく試合終了のブザーを聞いてしまった。

 「ほとんど収穫がない試合で、何もできなかったです。もっと自分の力を出したかった」。メダルに一番近いと富山英明総監督の一押しだった田岡の世界選手権デビューは、ほろ苦いものになってしまった。持病の腰痛、肋骨と左足首のけが、さらには試合中にバッティングによる頭部からの出血。試合後、田岡は、報道陣の前に満身創痍の姿で現れた。「どんな舞台でも自分のレスリングをしたいし、強気でいきたい」。

 歩くのもままならない腰痛を克服し、全日本王者まで上りつめた田岡は、誰にも負けない強じんな精神力を持っている。初めての世界選手権はつまずいたが、必ずはい上がってくるだろう。この悔しさを来年、自分で晴らすために。

(取材・文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)


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