【特集】秘策の投げ技が決まったものの、無念の黒星…男子フリースタイル96kg級・小平清貴【2006年9月29日】






 日本男子チームで最後にマットに上がったのは、奇しくも主将のフリースタイル96kg級の小平清貴(警視庁)。しかし2回戦の初戦で敗退。フリースタイル60kg級で高塚紀行(日大)が銅メダルを獲得したとはいえ、この後のアジア大会(12月・カタール)、来年の世界選手権、08年の北京五輪へ向け、男子勢にとっていばらの道が用意されているかのような結果に終わった。

 小平は「(主将として)歯がゆい試合をしてしまった」と振り返る。4月のアジア選手権(カザフスタン)後に痛めたひざは完治しているはずだった。しかし、試合ではひざに巻いたテープが嫌と言うほど目立ちすぎていた。それでも「ケガの影響はあるが、あくまで試合なので…」と、ケガの影響による負けはとはせず、「同じアジア圏(韓国)なので体力も筋肉も同じなのに、負けたのは実力差」と自らの完敗を認めた。

 だが今回の試合では大きな収穫もあった。第1ピリオド開始37秒で、自らが「秘策」と言っていた技が決まった。「中学1年から3年までやっていた柔道で内またと大外刈りが得意だった」ことからできた相手のタックルに対して仕掛けるカウンターの腰投げで、これが見事に決って3ポイントを先取した
(右写真)

 しかし、その後の第2、3ピリオドでは「わざと組まないように、動いて動いて、相手がバテたら組もうと思っていた」という作戦も通じず、ポイントを取ることができなかった。「自分で四つ組みと考えたのが良くなかった。もっと攻めていれば良かった。今のルールではスタミナが大事。頭をぶつけて前に出て行かないといけない」と、守りに回ってしまった自分の判断を悔やんでいた。

 今年12月にドーハで行われるアジア大会への出場が認められなくなった今は、「来年の(アゼルバイジャンで行われる)世界選手権が何より大事」と次を見据える。今回決まった秘策は「秘密のうちの一つ」と言ったように、もうひとつの秘策が披露される日には、きっと男子勢の活路が見えるはずだ。

(取材・文=川崎真依、撮影=矢吹建夫)


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