【特集】レスリング界および他競技の連勝記録





※昨年12月27日掲載の記事に、2006年世界選手権終了時点での後の記録を足したものです。

 吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)が国際大会101連勝(無敗)を記録した。国内外通算では97連勝。12月のアジア大会(カタール・ドーハ)では、国内外通算100連勝へ挑戦することになり、再び偉業として注目されることになりそうだ。

 連勝記録というのは、闘っている選手が最初から意識して数えているケースはありえず、例外なく周囲(たいていはマスコミ)から指摘されて初めて気がついている。

 五輪V3・世界一12度のアレクサンダー・カレリン(ロシア)のように「数えちゃいないし、興味はない」、五輪V2・世界一8度のアルセン・ファザエフ(ロシア)の「小さな大会ばかりに出て1年間で50連勝するのと、世界の大きな大会ばかりで5年間で50連勝するのとは、同じ価値にはならない。私の誇りは連勝ではなく、世界トップの大会でも7年間負け知らずだったこと」など、関心を示さない選手も多い。

 負けて、そこからはい上がることこそが大事であり、連勝はこだわることではないかもしれないが、マスコミは偉業として注目する記録であり、選手からは喜びの声が上がるのも事実。あえて連勝記録を探ってみた。(引退した選手につきましても、敬称は略させていただきます)


 【女子選手】

 
吉田沙保里の「国内外97連勝、国際大会101戦無敗」に続く記録を継続しているのが、吉田と同じくアテネ五輪を含めて5年連続世界一を達成した伊調馨(写真右)。今回の世界選手権までに、2003年3月のクリッパン国際大3回戦で勝って以来、国内外で「74連勝」に達している。

 外国選手相手には、03年3月のクリッパン国際大会でサラ・マクマン(米国)に敗れており、この後、12大会連続優勝を含むで「53連勝」をマーク。五輪・世界選手権・ワールドカップの世界最高レベルの大会では「44戦無敗」で、いずれも継続中。吉田のそれは「39戦無敗」で、この部分では吉田を上回っている。。

 現在、国内外を合わせた連勝記録を高い数字で続けているのはこの2人だけ。外国選手相手に限れば、
坂本日登美が00年アジア選手権から今回の世界選手権の4勝を足してまで、12大会で「50連勝」をマークし継続中。世界選手権は4回出場して「19戦無敗」で、ワールドカップを含めても「31戦無敗」だ。

 ただし、今年5月の女子ワールドカップでは、1試合出場しなかったため個人優勝しておらず、連続優勝記録は「10大会連続優勝」で途切ている。

 世界を4度制している
山本聖子は、98年世界ジュニア選手権で負けたあと国際大会で連勝記録を続けていたが、昨年のワールドカップでサリー・ロバーツ(米国)に敗れ、「67連勝」でストップしてしまった。山本は、世界一に輝いたあとも国内では吉田らに負けており、国内外を合わせた連勝はそれほど伸びていない。98年末からの99年末の「23連勝」が最高。ただし、世界選手権に限れば、4大会で「19戦無敗」。ワールドカップを加えると「36勝1敗」となり、悔やまれるロバーツ戦の黒星だ。

 全日本V10・世界V5の
浜口京子(写真左)は、96年末からの約4年間で、国内外「36連勝」という記録が一番長い。国内に限れば、今年3月のジャパンビバレッジクイーンズカップでの1勝を加えて「49連勝」へ。驚くことは、その49試合でポイントを取られたのが96年全日本選手権での斉藤紀江戦だけ。「48試合連続無失点」を継続中であり、国内大会でポイントを取られたら大きなニュースになる域に達している。吉田沙保里は山本聖子に、伊調馨は正田絢子にそれぞれポイントを取られているので、この記録は浜口の独壇場。

 連勝記録ではないが、浜口は11度出場した世界選手権では「37勝(9敗)」をマーク。五輪を含めた「40勝(10敗)」は、世界選手権9度・五輪1度に出場して6度優勝したクリスチン・ノードハーゲン(カナダ)の「35勝(4敗)」を上回り、10度出場して5度優勝した吉村祥子の「30勝(8敗)」、8度出場して6度優勝した浦野弥生の「22勝(3敗)」をも引き離している。

 90年代に活躍した選手は、大会数も選手数も少なかったため、連勝記録などに関してはあまり数字が伸びていない。93〜96年に世界で敵なしだった
浦野弥生は、93年から97年の世界選手権2回戦まで国内外で「43連勝」だった。

 
山本美憂はデビュー直後に吉村祥子に負けた後、93年に遠藤美子に敗れるまで、国内外「46連勝」が最高(留学中の米国では、男子選手との試合もあったので除く)。外国選手相手にはデビューから98年の世界選手権決勝で敗れるまで「32連勝」だった。


 【男子選手】

 東京五輪で金メダルを取った
渡辺長武(写真右)が、1960年から64年東京五輪にかけての約4年間と、1970年の全日本社会人選手権を経て、46歳で出場した87年全日本社会人選手権2回戦まで無敗を続け、「189連勝」がギネスブックに載っている。この間の試合といえば、2度の世界選手権、東京五輪、全米オープン選手権、アジア大会、ソ連遠征中の対抗戦、5度の全日本選手権、五輪予選、国体、3度の全日本学生選手権ほかリーグ戦など学生の大会など。当時は世界選手権のあとにも英国へ渡って大会に出たり、1度の海外遠征で何試合もこなしたので、約5年間で180試合を超えたようだ。

 しかし当時は詳細な記録を残す時代ではなく、そのためこの記録を正式に認めていないマスコミがあるのは残念。40年以上も前のことなので調べるのは難しいと思うが、全試合の対戦相手と結果とまではいかなくても、「どの大会で何勝」が分かれば、もっと価値ある記録として語り継がれるだろう。

 モントリオール五輪を含めて4年連続世界一に輝いた
高田裕司(現日本協会専務理事)は、73年10月の東日本学生秋季新人戦から78年世界選手権の初戦で敗れるまでの5年近くで国内外「88連勝」を達成している。大学卒業後は、全日本選手権と世界選手権などビッグマッチ限定で出場していたため、思ったほど数字は伸びていない。

 日本選手相手に限れば、74年国体から80年全日本選手権決勝までに「77連勝」が最高。フリースタイルに限れば、73年の全日本ジュニア選手権までさかのぼるので「83連勝」という記録になる。

 64年東京と68年メキシコの2度の五輪で勝っている
上武洋次郎(現姓小幡=写真左は、米国で64〜66年に全米大学選手権を3度制し、ここで「58連勝(0敗)」をマークしている。東京五輪(7勝)や五輪予選を合わせると「70連勝」。帰国後、67年度の全日本選手権での3勝を加えて「73連勝」としたが、メキシコ五輪予選で青森・八戸工高卒2年目、新進気鋭の藤田義郎に負けてしまい(総勝ち点の差で優勝し五輪代表へ)、連勝記録はメキシコ五輪決勝での勝利までは続いていない。

 日本の五輪・世界王者でもう1人、忘れてはならない
富山英明(現日本協会強化委員長)は、77年全日本学生選手権から78年の全日本学生王座決定戦の日体大戦で大野義弘にフォール負けするまで、世界選手権を含めて国内外「44連勝」をマークしている。世界チャンピオンになった直後の国内の学生の大会でフォール負けして途切れたわけで、学生が世界チャンピオンになり、同じ学生がその世界チャンピオンを破るなど、当時の学生のレベルの高さがうかがえる。


 【外国選手】

 
アレクサンダー・カレリン(ソ連〜ロシア=写真右が1988年から2000年シドニー五輪の決勝まで約12年間、無敗を続けた。前述の通り本人は連勝記録に興味がないようで、連勝数は不明。ただ五輪・世界選手権・欧州選手権に関すれば「114連勝」をマークしている。カレリンには92年ワールドカップで「2位」という記録がある。これはロシアから2選手が出場し、勝ち点が分かれてしまったためで、カレリンの個人成績は1戦1勝。負けてはいない。

 83年世界選手権から92年バルセロナ五輪まで五輪2度・世界選手権6度優勝している
アルセン・ファザエフ(ソ連)は、89年の世界選手権で1階級上の74kg級で出てケニー・マンディー(米国)に負けるまで「国内外で7年間無敗だった」と言う。

 ファザエフよりちょっと早くに活躍した
セルゲイ・ベログラゾフ(ソ連)は、初期に富山英明や金子博に負けているが、83年ごろから88年ソウル五輪まで国際大会で勝ち続けた。しかし、その間「国内では2度負けている」そうで、ソ連のレベルの高さが分かる。

 米国、特に大学レスリング(NCAA)は比較的記録がしっかり残されている。1999〜2002年のNCAA選手権を制し、のちにアテネ五輪で勝った
カエル・サンダーソン(アイオワ大)が4年間で159戦無敗、すなわち「159連勝」を達成しているが、これはNCAAで闘った試合の数字。2000年に東京で行なわれた世界学生選手権でロシアの選手に敗れており(最後は優勝)、両スタイル合わせた記録が何連勝かは(日本では)把握できていない。

 NCAAで無敗だった選手は他に4人いる。1946〜47年に優勝した
ビル・コール(ノーザンアイオワ大)で、「72連勝」をマーク。しかし、その後の48年ロンドン五輪では5位に終わった。1955〜57年にNCAA3連覇を達成しているダン・ホッジ(オクラホマ大)は「46連勝」を達成しており、この間、1点も取られなかったという。ただ、その最中にあった1956年メルボルン五輪決勝で敗れており、サンダーソンのケースと同じでカレッジスタイルとフリースタイルをまたにかけての連勝は伸びていない。

 87〜89年にヘビー級で3度NCAAを制したカールトン・ハセリグ(ピッツバーグ大ジョンストウン校)が1分けをはさんで121戦無敗、すなわち「121連勝」。 もう1人の無敗選手は前述の上武洋次郎で、NCAAでの闘いの真っ最中に東京五輪で勝ち、2つのスタイルを勝ち抜いた。

 ほかに上位の記録としては、68・69年にNCAAを制し72年ミュンヘン五輪でも勝った
ダン・ゲーブル(アイオワ大)は「100連勝」をマークしている。

 4年連続ではないが90〜92・94年にNCAA4度優勝した
パット・スミス(オクラホマ州立大)が「98連勝」の記録を持ち、その兄であり87・88年のNCAAのほか、2度の五輪を含め6度世界一に輝いたジョン・スミス(オクラホマ州立大)は「90連勝」というレコードをつくっている。

 ゲーブルはフリースタイルで71年世界選手権と72年ミュンヘン五輪に優勝しているが、これは大学を卒業後のこと。一方、スミスはカレッジスタイルと並行してやっていたフリースタイルでも87年世界選手権や88年ソウル五輪で優勝しており、上武とともに2つのスタイルを両立できた数少ない1人。並の選手ではなかった。92年の五輪予選での1敗まで連勝は続いているはずなので、150連勝は超えていると思われる。

(注=NCAAのポストシーズンの試合の扱いによって、数試合違った記録になっている場合があります)


 【他競技】

 男子柔道の
山下泰裕が、引き分けをはさみながらも「203連勝」をマーク。連勝がスタートする前を含め外国選手には無敗だった。大相撲では双葉山の「69連勝」が最高。女子テニスでは沢松和子が1967〜74年に「192連勝」を樹立している。

 団体競技では選手が入れ替わることもあってすごい数字が並ぶ。
日体大水球部が21年間で「376連勝」をマークし、天理大ホッケー部は男子が関西学生だけだが「331連勝」している。女子は国内で「219連勝」

 東京五輪の“東洋の魔女”が主力だった
日紡貝塚女子バレーボール部は「258連勝」まで白星を積み重ねた。

 なお、
日体大レスリング部は、1979年から92年まで東日本学生リーグ戦で「84連勝」をマークしている。しかし、全日本学生王座決定戦や東日本学生グレコローマン対抗戦(以前は団体対抗戦のみ)では何度か取りこぼしているので、通算での連勝は同大学水球部ほどはいっていない。


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