【特集】敵をも味方につける魅力! 世界のスーパースターの道歩み始めた…女子55kg級・吉田沙保里【2006年9月30日】






 決勝戦、開始早々に豪快な持ち上げタックルが決まった(右写真)。準決勝で国際大会100連勝を達成し、アテネ五輪を含めてこれまた女子で前人未到の5年連続世界一へ挑む55kg級の吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)は、都市こそ違うが2008年五輪開催の地・中国でその実力をいかんなく発揮。中国選手に見せつけるかのような強さで5度目の世界最高峰到達をアピールした。

 反日感情に考慮し、マット上での日の丸のアピールは自粛することになった。そのため、恒例のフラッグ・ランはなかった。それでも、アテネ五輪優勝の時と同じように栄和人・全日本監督を肩車した吉田は、最後にバランスを崩して倒れるふりをしてその体を前方へ放り投げ、同監督はマット上に転げ落ちた。

 師弟のユーモラスな行動に、親指を下に下げて一斉にブーイングを送っていた中国の控え選手や観客も大爆笑。一転して大きな拍手の渦が会場を包んだ。敵をも味方につけた吉田のパフォーマンス。レスリングだけでなく、すべてにおいて人の心を引きつける魅力も出てきた。世界のスーパースターへの道を歩み始める序曲だろうか。

 前人未到の大記録を達成するために、神様は吉田に大きな試練を与えた。2回戦で昨年3位で2年連続欧州チャンピオンのナタリア・ゴルツ(ロシア)と対戦。3回戦ではアテネ五輪の銅メダルを含めて「金4・銀2・銅2」を取っているアンナ・ゴミス(フランス)がぶつかってきた。

 準決勝は、アテネ五輪銀メダルのトーニャ・バービック(カナダ)か、今年59kg級で欧州チャンピオンに輝いていたイダテレス・カールソン(スウェーデン)が上がってくることが予想され、カールソンが上がってきた。ここだけは強豪同士が闘う形だったが、全体としてみれば、「強豪がつぶし合う」ではなく、「強豪がすべて吉田と闘う」という組み合わせ。

 そのため気合が入りすぎたのだろうか、1回戦の“安全パイ”、マルシア・アンドラデ(ベネズエラ)戦
(左写真)に、第1ピリオドの終了直前、正面タックルをきれいに返されて3ポイントを失う失態。トップレスラーの本能ですぐに体勢を入れ替えてバックを取り、1点を取ったので4−3となって辛うじてこのピリオドを取ったが、それがなければ3−3のビッグポイントで出だしのピリオドを失うところだった。

 準決勝のカールソン戦でも、正面タックルを押しつぶされるように返され、背中をべったりとマットにつけてしまい、辛うじてフォール負けは免れたが、0−3とされるシーンもあった。しかし、これを逆転するのが吉田の強さ。2−3と追い上げ、ラスト26秒に正面タックルからトルコ刈りで逆転。2分1ピリオドのルール下では致命的とも思える3点のビハインドを返す実力。100連勝・世界V5の底力をまざまざと見せられた試合だった。

 その反省を生かし、決勝はたたきつけるタックルではなく、持ち上げるタックルに方向転換する機転と技量も、偉業を支えていることは言うまでもない。もし、これも研究されていたら、片脚タックルや足首を取るタックルという攻撃パターンへ移行したのではないか。敵のあらゆる攻撃に対応できるだけの“容量”を持つ変幻自在のレスリングは底なしの深さだ。

 もちろん、北京五輪へ向けて、まだまだその容積を増やしていくことだろう。「タックルは、もう誰が相手でも入れる自信があります。練習では、もうタックルの練習はしないで、組み合ってのレスリングとか、ほかの攻撃パターンを練習しようと思うんです」「フォールまでの詰めですよね。(決勝だけで)3度もチャンスがあったのに、結局フォールできなかった。確実フォールに持ち込める力をつけたい」「3点を取れるタックルをしっかり身につけたい。せっかく持ち上げても、1点で終わってしまったタックルもあった。もったいない」。

 5年連続世界一になっても満足せず、あくなき技術の追求を口にする吉田沙保里。国際大会100連勝という記録は、今大会で外国メディアも知ることとなった。北京五輪まで、その動向が世界を駆け巡る可能性は十分にある。

 今後の記録次第では、北京五輪では“世界最速の女”として一世を風びした世界的女子アスリート(陸上短距離)、フローレンス・ジョイナー(米国=故人)の域に達することも可能だ。“日本の吉田沙保里”は、“世界のサオリ・ヨシダ”として、世界規模のスーパースターの道を歩み始めた。

(取材・文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)


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