【特集】骨折を支えたボルトから勇気をもらった…女子67kg級・坂本襟【2006年10月1日】





 女子67s級の坂本襟(ワァークスジャパン)が世界選手権のメダル獲得の悲願を達成した(右写真)。3回戦で敗退したものの、敗者復活戦への道がつながり、そこを勝ち抜いての銅メダルだった。

 敗者復活戦へ進むことが分かったあと、「気持ちをしっかり次に向けて切り替えていきたい。3位になれるように頑張ります」と決意。休憩をはさんで挑んだ敗者復活戦では、第1ピリオドをクリンチで耐え抜いて1−0。第2ピリオドは相手のタックルをつぶしてバックに回り1−0での勝利。

 続く3位決定戦では、第1、2ピリオドをともに0−0。コイントスでは2度とも負けて防御を強いられてしまったが、ここから粘った。「ホイッスルが鳴って一瞬切るチャンスがあった。ここで切らないといけないと思った」と言うように、開始直後に相手の股関節をしっかりつかみ、耐え抜いて0−0(1-0,1-0)で勝利。あふれんばかりの喜びを、涙とともに流した。

 このクリンチでの勝利には伏線があった。2回戦でモンゴルの選手と対戦し、第2ピリオドをクリンチのコイントスで負け、ピリオドを落としてしまったことだ。「背中から落ちたことで、監督から『ああいうふうな動きをすると、ポイントを取れない』と言われたこと」と指導された。さらに「(伊調)馨が去年の世界選手権で不利な時でもポイントを取っていたのを思い出した」と、圧倒的不利なクリンチの防御にでも勝機を見い出す気持ちを失わなかった。

 辛い時にこそ力になってくれる仲間とともに得たメダルと言っていい。栄監督も「襟とはずっと葛藤しながらだった。3位になってくれてうれしかった。我慢の我慢のレスリングで、よくやってくれた」と話し、涙を流したあとを隠して笑顔を見せ、心の底から喜んでいた。

 ここまで来るには多過ぎる試練があった。今年4月の練習中に左脚を骨折し、決定していた世界選手権代表を保留にされ、一度は出られないかと思われた。しかし9月に代表決定参考試合が井上佳子(愛知・至学館高)、新海真美(中京女大)というふだんの練習相手との間で行われ、最終的に代表に選ばれた。

 大会前には代表を争った井上からメールのほか、直接にも「思い切りやって来てください」と励まされた。自分が骨折した時に入れていたボルトを広州に持ってきており、前日とこの日の練習、そして1、2回戦の前に見て気持ち的に励まされたという。

 3回戦で敗れはしたものの、そこまでの戦いぶりはテクニカルフォールもあり、まずまず満足できるもの
(左写真は2回戦)。坂本はそこまでの戦いぶりを「気持ち的には良かったし、(左脚の痛みについては)痛いとか考えているひまはなかった。でも細かな部分や体力は、やっていない分劣っていた」と振り返った。

 3位が決まった後「これでケガした分を取り戻せる。初日からみんなが金メダルを取ってきたので、自分が崩してしまう不安があった。3回戦で負けてしまって、雰囲気を悪くしたようで不安になったが、とにかくメダルをと思って、取れてよかった。去年は敗者復活戦までの間に気持ちを切り替えることができなかった。去年よりかは下を向かないで帰れる」と最高の笑顔を見せた。

 次の闘いについては「今年、来年は67kg級でやる。そして北京オリンピックへ向けては、体重を増やして72kg級で目指します」と話す。世界の銅メダリスト、坂本の参戦は国内の72kg級のレベルを高めてくれることだろう。

(取材・文=川崎真依、撮影=矢吹建夫)


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