【特集】今はライバルにエール。来年は引きずり落とす!…55kg級・松永共広【2006年10月26日】







 世界選手権で現役大学生が銅メダルを取り、上昇の兆しを見せた男子レスリング。若手選手の活躍は、階級を問わずに上の選手を刺激し、はかり知れない相乗効果が期待できる。アテネ五輪後にフリースタイルのエースと目された55kg級の松永共広(ALSOK綜合警備保障)も、大きな刺激を受けた一人だろう。

 アテネ五輪銅メダリストの田南部力の後継者と言われ、05年冬の欧州遠征で2大会連続優勝
(右写真=ダン・コロフ国際大会優勝)。同年5月のアジア選手権でも世界王者のディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)と激戦して3位へ。8月の「ジオウルコウスキ国際大会」(ポーランド)でも欧州王者を破って優勝。世界選手権では初出場ながら5位に入賞した。

 ことしも3月の「ダン・コロフ国際大会」で優勝するなど、約1年の間にこなした国際大会6大会のうち4大会で優勝するというすばらしい成績。史上初の全国中学生選手権3連覇、2年連続高校5冠王、02年世界学生王者奪取など、過去の実績は申し分ない。本来なら彼が真っ先に世界のメダルを取り、チームを引っ張っていかなければならなかった。

 しかし、6月の明治乳業杯全日本選抜選手権で田岡秀規(自衛隊)にまさかの2連敗を喫し、メダルを取るどころか世界で闘う機会すら逸してしまった。プレーオフでは、ラスト4秒に足払いを受けて逆転負けという内容
(左下写真)。残り4秒をこらえられなかったばかりに、天国から地獄へ落とされた。

 「勝ったと思って気が抜けた?」という問いに、「それしか考えられないですね…」と振り返る。だが、本戦(準決勝)でも1−2(0-4,5-3,0-3)で負けているのだから、心のすきだけが負けた原因ではない。その2か月半前の「ダン・コロフ国際大会」(ブルガリア)でも田岡と対戦する機会があった。この時は2−1(3-0,0-1,2-0)で勝っていたが、この闘いの中で手の内を研究されていたことも考えられる。

 しかし松永は「研究だけでは、(田岡が)あんなきれいな技はかけられませんよ」と、田岡の実力アップを認めるとともに、「結局、(自分に)実力がなかったからなんです」と話す。その言葉に、彼の敗戦の弁のすべてが表されていると言ってだろう。

 もっとも、つまずきは選手を強くする薬でもある。順風満帆の選手生活だっただけに、この敗戦は「練習を考えるためにも、いい負けだったかもしれない」と思うようになった。勝つためには練習するしかないが、松永のレベルの選手なら、やればやるだけ強くなるというものでもない。「大会前は、練習したつもり、になっていたかもしれません」と、勝つための練習や考える練習ができていなかったかもしれないと反省する。

 その後の全日本チームの合宿では、田岡と積極的にスパーリングをこなすなど、リベンジへ向けても走り出している。勝った田岡は、世界選手権でこそ初戦敗退で結果を出せなかったが、8月のベログラゾフ国際大会(ロシア)では昨年世界2位のラドスラフ・ベリコフ(ブルガリア)を撃破する殊勲。このベリコフが世界選手権で優勝したのだから、田岡の実力も世界のトップクラスであることは間違いない。少なくとも、大きな舞台を何度か経験すれば結果を出せる地力はあるはずだ。

 「彼も世界で結果を出した。彼との勝負は気持ちの勝負になると思います」。不運で負けたのではないことが分かった。田岡が実力を伸ばしたから負けた。ならば、自分も実力を伸ばさなければ、何度やっても同じ結果だ。

 来るべき勝負の時にそなえ、試合勘を鈍らせるわけにはいかない。この秋は1階級上ながら国体に出場し、実戦を経験して、日本代表をはずれたことで試合間隔があいてしまったことを補った。結果は1階級上の学生王者の湯元健一(日体大)に敗れてしまったが、結果を出す大会ではないので、精神的な後遺症はないという。「長い目で見れば、試合をやったことがよかったと思います」。これも勝つために考えての行動だろう。

 情報収集も積極的だ。日本代表をはずれると、ライバルの出場する大会にはあえて背を向ける選手も少なくないが、松永は世界選手権での結果や内容もきちんとチェックしていた。今年の大会の場合、午前セッションの約4時間で準決勝までの4試合をこなし、準々決勝から準決勝までの間が20分もない場合もあって、これまで以上にスタミナが必要になっているといった話も、興味深く耳を傾けてきた。こうした姿勢からも、来年は絶対に自分が55kg級の日本代表として世界選手権へ行くという意気込みが伝わってくる。

 年内にもう1大会、田岡の活躍を遠くから見なければならない大会(アジア大会)があるが、「田岡には日本代表としてがんばってもらいたいです」と言う。田岡が負けたら、自分の実力はもっと下ということになる。やはり勝ってもらいたい。そして、その強い田岡を倒して自分が世界へ行く−。

 田岡が活躍し、60kg級で高塚紀行(日大)が銅メダルを獲得する殊勲で沸いた影で、日本レスリング界屈指の逸材は、鞘(さや)におさめざるをえなかった刀をしっかりと研ぎ、勝負の時を待っている。



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