【特集】攻撃できなかった王旭(中国)戦…女子72kg級・浜口京子【2006年12月13日】







 「京子 何を残念がっているんだ! 鼻を骨折して、アジア大会に出られないはずだった。なのに、ここまでやった。胸を張れ!」。表彰式が終わり、涙をこらえてテレビのインタビューに答えていた女子72kg級の浜口京子(ジャパンビバレッジ)に、観客席から父・アニマル浜口さんが呼びかけた。

 父の姿を見つけた浜口は、インタビューを中止して近づくと
(右写真)、ジャージを脱ぎ、腕立て伏せを始めた。40回、50回…。そしてスクワット。悔しさを何らかの形で発散させなければ、心が壊れそうだったのだろう。

 フェンスを乗り越えて父のもとへ駆け寄ったまた娘に、アニマル浜口さんは、「どん底からはい上がるんだ! 苦しんで、苦しんで、そこからはい上がるんだ!」と話しかけ、抱きしめた。

 初戦、準決勝とフォール勝ちし、圧倒的な強さを見せて勝ち上がった。決勝の相手は、アテネ五輪で苦杯を喫した王旭(中国)。王旭だけが標的だったと言っていいアジア大会。「(世界選手権で骨折した)鼻が当たって勝つだけ」と必勝を期して臨んだ大会だった。

 しかし第1ピリオドをコイントスの末にクリンチで落とすと、第2ピリオドは攻撃が空回り。見事なタックル返しを受けてしまい
(左写真)、この失点を取り返すことができなかった。

 王旭は4分間で1度も仕掛けてこなかった。浜口のタックルを待っていたかのようなカウンターのタックル返し。コイントスが浜口に来ていれば、勝敗はどう転んだか分からない試合展開だった。だが浜口は「負けは負けです」と、その結果を素直に受け止め、「(4月に亡くなった)おばあちゃんのお墓に金メダルを入れるつもりでした。色は違いましたけど、銀メダルを捧げます」と話した。

 王旭といえば、アテネ五輪で浜口を2度のガッツレンチ(ローリング)で退けた選手。それまでの女子72kg級ではガッツレンチという技はほとんど見られず、この階級では世界一のガッツレンチの使い手だった。今回の大会でも準決勝で見事なガッツレンチを見せ、左肩手術後の現在でも必殺技は健在だった。

 しかし、それ以外のスタンドでの闘いは、これといって見るものがなく、攻撃能力がすぐれている印象はなかった。ルールがスタンド中心に変わった現在、浜口の勝機は大きかったはずだ。しかし、第1ピリオド、見合ったまま攻撃ができなかった。

 これが、過去負けたことのある相手と闘う時の目に見えない心理状況なのか。だが浜口は、負けた相手であるクリスチン・ノードハーゲン(カナダ)、トッカラ・モンゴメリ(米国)、オヘネワ・アクフォ(カナダ)らを次の対戦ではことごとく撃破。黒星がトラウマとなって攻撃できなかったことはなかった。五輪という最高の舞台での敗北が、そんな前例が当てはまらないほどのプレッシャーとなって浜口を襲ったのか。

 そんな浜口を厳しく評したのは、セコンドの金浜良コーチ(ジャパンビバレッジ)。「なぜ攻めなかったんだ。ふだんの京子の力を出せば、絶対に勝てる相手だ。第1ピリオドの京子の心理状況を聞きたい。あれでは勝てるはずがない。0−0でいいと思ったら、その時点で京子の負け。挑戦者なら、あんな試合はない」と話した。

 また観客席で応援していたジャパンビバレッジの赤石光生コーチも、1度も組み合うことのなかった第1ピリオドの試合展開
(右写真)に顔をしかめた。今、浜口に必要なことは、負けを恐れずに闘うチャレンジャーの気持ちなのだろうか。

 今年4月のアジア選手権の優勝をはさみ、05年世界選手権、06年ワールドカップ、06年世界選手権、そして今回と銀メダルが続いた。浜口が決勝のマットに上がる時には、いつも吉田沙保里や伊調馨らが金メダルを取った後であり、「自分も」という気持ちが言い知れないプレッシャーとなっているのかもしれない。

 「変なプライドがあるのかもしれない。精神面を鍛え直さなければならないと感じた」とも話した金浜コーチは、「でも、やることがたくさんあるのは幸せなこと」と、弱点の克服に全力を尽くす構え。浜口は「挑戦するという気持ちでやっていかなければならないと思います。北京オリンピックまでへこたれないで前を向いていきたい。きょうの負けの結果をしっかり受け止め、応援してくれる人にこたえたい」と結んだ。

 北京オリンピックまで、あと1年8ヶ月。1日1日に勝負をかければ、絶対にばん回できる期間である。


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