【特集】「素晴らしい選手たちと出会え、これほど幸せなことはありません」…自衛隊・藤川健治女子監督





 「プレーオフ(2005年世界選手権代表選考)で日登美(坂本)が千春(伊調=中京女大)を破ってくれたあの1勝は、彼女だけでなく、我々全員にとって本当に大きなもので した」。自衛隊体育学校レスリング班で宮原厚次総監督のもと、女子チームを率いる藤川健治監督はしみじみと語った。
(写真右=伊調千春を破った坂本日登美。向こう側が藤川監督)

 2004年4月、渡辺小百合の入校に合わせ、10年以上にわたって男子のコーチを務め、和光クラブでも監督としてチビッ子の指導にあたってきた藤川氏が、女子の監督に就任した。本人曰 く、「選手としては実績のない私ですが…。大抜てきしていただきました」。今年4月には坂本日登美、菅綾子、今村有希が入校。本格的に始動した女子チームにとって、6月に行われたプレーオフは初めて迎え た試練だった。

 「チームの存続がかかっていたと言ってもいいような一番でした。もし日登美が負けて、クイーンズカップに続いて千春に2連敗していたらと思うと、ゾッとしますね。日登美が加入してくれて、チームはいい雰囲気でした。世界を2年連続で制した選手の影響は計り知れないくらい大きなものでした。でも、元世界チャンピオンであること以上に、日登美のモチベーションの高さ、まじめな練習態度、レスリングにかける情熱がほかの選手たちをいい方向に導いてくれていた。監督としては、これほど楽なことはありませんよ。“練 習しろ”なんて言わなくても、自分から黙々と練習する選手がいて、それに引っ張られて全員が練習するんですから」

 日登美を勝たせようとチームは一丸となった。姉を慕って、中京女大を中退し和光 クラブに移籍し、現在は体育学校レスリング班でともに練習する妹・真喜子はもちろん、綾子も、小百合も、有希も 。世界ナンバーワンに返り咲こうと日々死に物狂いで練習し、体を張ってチームをリードしてきたキャプテン日登美を、クイーンズカップからプレーオフまでの3カ月間、今度は部員全員が盛り立てた。


 藤川監督と選手たち。「家には一人娘がいるんですが、今は選手たち全員が娘みたいなものですから、6人娘の 父親になったような気分です」と藤川監督。長女・千晶ちゃんは、7月28〜30日茨城県 大洗で行われるアジア・カデット選手権に日本代表として出場する。

 「女子部員だけでなく、宮原総監督をはじめ、フリースタイルの笹山(秀雄)監督、グレコローマンの伊藤 (広道)監督、和久井(始)コーチ、男子の部員も。みんなが応援してくれました。日登美のあの勝利は、自衛隊全員のものだと思っています」。ライバル千春を倒した日登美が応援席に向けてガッツポーズを見せたとき、全員が自信 をつかみ、藤川監督のもとで練習すればいつか自分も頂点に立てると確信した。 「あのとき、本当の意味での監督と選手の信頼関係が生まれたと思います」。

 自衛隊体育学校は、日登美が大学4年生の時(2001年)に獲得に乗り出していた。たが、世界選手権2連覇中の彼女には“女子選手である自分が自衛隊で練習する”イメージが全くわかず、 大学院進学を決めた。藤川監督と日登美が直接会うことはなかった。2人が出会ったのは、それ から1年あまり経った2003年1月、八戸工大で自衛隊の合宿が行われたときだった。
 レスリングを離れ、実家に戻っていた日登美は、体重が70kgもあり、とてもではないがレスラーの体ではなかった。しかし、藤川監督は“光る”ものを感じた。同時に直感した。「この子はレスリングが好きで好きでたまらないんだ。この子だったらチームの核にな ってくれるはずだ。女子部を創設する体育学校には、こういう選手が必要なんだ」

 日登美の人間性に惚れ込んだ藤川監督が「必ず復活させてやろう」と決意した時、彼女もまた「運命的な出会い」を感じたという。 「この人のもとでなら、もう一度レスリングに打ち込める」と、自衛隊体育学校入りを決意した。

 藤川監督が選手を指導する上で最も大切にしていることは「本人の気持ちを 高めること」だと言う。「押しつけの練習、与える練習では強くはなれません。“おまえ ならできる”と自信を持たせながら、ひとつひとつ説明していく。こういう目標を立てよ う。それを達成するために、こういうことをしよう。レスリングの技術的な練習はもちろん、基礎体力づくりでも、サーキットトレーニングでも、選手に理解させてやっていく。 今の子は納得しなければ、やりませんからね。それは、女子でも男子でも、チビッコでも 同じこと。私は20年近くチビッ子に教えてきましたし、長年男子のコーチもやらせていた だきましたが、自分の中では全てが一つにつながっています。勉強させていただいたことが 全部、今の女子の指導に生きていると思っています」
(写真右=5月のアジア選手権で坂本日登美のセコンドにつく藤川監督。中央は栄和人・全日本女子ヘッドコーチ)

 そんな監督のもとで日登美は復活を果たし、9月28日、4年ぶりの世界選手権に挑む。所属は別でも一緒に練習する妹・真喜子とともに。 「日登美にとって、プレーオフで勝ったことが本当の意味での復活の第一歩でしょうね」。

 そう話す藤川監督は、日登美の良さは「がんばり」にあると言う。「世界選手権で2連覇したとき、日登美のレスリングは完成されていると言われました。 試合結果などを見る限り、私もそう思っていましたが、実際指導するととんでもない。教えることはいろいろあるし、覚えなければならないことは山ほどあるとわかりました。 逆を言えば、伸びる要素はいっぱいあった。伸びシロはまだまだあるということ。それと、何でもこなす起用な選手と思われているかもしれませんが、そんなことは全くありませ ん。ほかの選手なら3回やれば覚えられることが、5回も6回もかかる。でも、日登美の すごいところはそれを50回、100回と黙々とやれることなんです」

 高校生で全日本チャンピオンになり、アテネ・オリンピック銀メダ リストとなった伊調千春と最後まで国内予選を戦い抜いた坂本真喜子にしても同じこと。また、高校卒業後に柔道から転向してきた渡辺小百合や今村有希も、大学時代ケガに泣かされ大輪の花を咲か せることができなかった菅綾子にしても、藤川監督は「全員が無限大の可能性を秘めている」と力強く語った。(写真左=5月のアジア選手権で優勝した坂本日登美を迎える藤川監督)

 「レスリングのセンスということでいうなら、うちの部員は全員世界でもトップクラスの ものを持っている。私はそう信じています。それをどう引き上げてやるか。それが、これ からの私の戦いです。監督冥利につきると言うんですかね。素晴らしい選手たちと出会うことができ、直接指導することができる。こんな幸せなことはないと心の底から思ってい ます」

 冷静沈着。物腰が柔らかく、一見おとなしそうだが、レスリングのこととなると一切妥協を許さない。静かに燃える熱き闘志をたぎらせる藤川監督は、目尻の下がったいつもの笑顔で締めくくった。

(取材・文=宮崎俊哉)

 ふじかわ・けんじ 1963年1月19日、徳島県生まれ。徳島県立辻高校入学とともにレスリングをはじめ、高校時代はインターハイ5位、国体5位。自衛隊体育学校に入校後、カナダ国際大会優勝、エスポワ ール・ジュニア日本代表となる。東四国国体で香川県チーム監督を務めた後、自衛隊体育学校スカウト、コーチを歴任。ほかに和光クラブの菅芳松代表のあとを受けて同チームの監督に就任。国際審判員の資格も持っている。アテネオリンピック後の新強化体制で女子強化コーチとなり、ナショナルチームも指 導する。



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