【特集】社会人レスリングの現状と今後。再上昇のカンフル剤は?




 7月9〜10日に東京・青少年総合センターで行なわれた第53回全日本社会人選手権
(写真右)は、個人戦で、一般グレコローマン81選手、同フリースタイル129選手、女子14選手の計224選手がエントリーして行なわれた(ほかにマスターズの部に44選手がエントリー)。これは大会最多の参加選手数だった1993年大会(愛知・常滑市)の380選手エントリーより156選手少なく、割合で言うなら約42%減の数字。長引く不況を反映し、社会人レスリングにひと頃の勢いがないのが現実だ。

 社会人レスリングが急カーブで発展していったのは、1990年代に入ってからのこと。90年の全日本社会人選手権東京大会(スポーツ会館)のエントリー選手が335選手(一般の部のみ、以下同じ)。以降、91年(埼玉・朝霞)=277選手、92年(秋田・飯田川町)=337選手、93年=380選手、94年(埼玉・朝霞市)=368選手と、増減を繰り返しながらも繁栄していった。

 当時の全日本社会人連盟・小川雅巨理事長は「高度経済成長時代が終わり、余暇の充実が叫ばれてきたからでしょう」と分析。93年大会から優勝選手に海外遠征の“ご褒美”がつき、これも選手の参戦意欲を高めたと見ている。

 マット2面で十分にまかなえていた大会運営が、93年大会からマット4面での実施と苦労も増えたが、秋田、常滑のあとも、95年=広島(国体リハーサル大会)、96年=福島と地方からの大会招致も相次いだ。大会を開催するだけの財政と人力があればこそで、小川理事長は地方開催によって「地方のレスリング熱が高まり、審判の育成にも役立つ」と、社会人レスリングの力強いパワーをアピールした。

 だが、余暇の充実というのは経済基盤が安定していればこそ。先の見えない不況下で残業することも多くなり、職を変えざるをえなかった人も少なくないはず。レスリングの練習に汗を流し、交通費と宿泊費を出してまで大会に参加する選手が減ってしまったのは、やむをえない現象だろう。97年には、あらゆる傘下連盟に先駆けて女子を採用したものの、その出場選手数は先細りという状況だ。

 村上功理事長は「メジャーなスポーツとマイナーなスポーツとの格差が大きくなり、レスリングに取り組む選手が少なくなっているのは社会人レスリングだけの問題ではない」と指摘。子供の数が減っていることを考えると、これからはもっと厳しくなることを予想。「カンフル剤を投入しなければ、社会人レスリングがどんどん衰退してしまう」と将来を心配する。

 対策として考えているのが、現在の社会人レスリングは、高校や大学時代のレスリング経験者が主流となっているが、素人でも参加できるような大会をつくること。また、そうしたクラブを増やすことが必要ではないかと提言する。

 PRIDEやK−1の隆盛に見るように、現在の若者の格闘技熱は決して低くはない。それは「見ることへの興味であって、やることへの興味ではない」という声もあるが、まったく熱がない状況よりは、潜在的に格闘技に取り組む人間が少なくないことを意味する。事実、柔術の競技人口は増えており、大会によってはかなりの盛況を呈している。

 レスリングも、健康のために取り組む人がいてもおかしくない生涯スポーツ。そうした観点からの普及に取り組むことも、今のレスリング界に必要なことかもしれない。村上理事長以下、全日本社会人連盟の積極的な行動を期待したい。

(取材・文=樋口郁夫)




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