【特集】目標は“不滅の金字塔”。挑戦はまだ続く霞ヶ浦・大沢友博監督
王者・霞ヶ浦が圧倒的な内容でインターハイ4年連続18度目の優勝、3年連続14度目の春(全国高校選抜大会)夏制覇を達成した。
決勝に先立つ準決勝は、霞ヶ浦が地元の関宿を一蹴したあと、もうひとつの岐南工−玉名工の準決勝が白熱した熱戦となり、120kg級の試合の第3ピリオドまでもつれた。会場が湧きに湧き、日本一を決める大会にふさわしい熱い空気が佐倉市民体育館に充満した。
しかし会場が盛り上がったのはここまで。玉名工が必死の思いで岐南工を破り、春に続いて、インターハイでは初めて決勝進出を果たした勢いも霞ヶ浦の前には通じず、決勝戦は4試合目の66kg級を終わった段階で、優勝争いが終了。霞ヶ浦応援団の勝利の雄たけびが会場にこだましたあと、優勝争いとは無縁の応援が続くことになってしまった。
「圧勝優勝」「横綱相撲」「絶対王者」−。初戦からの全試合に7−0で勝ったわけではないから、こうした形容をつけるのはおかしいかもしれない。だが、チームとして負ける要素が微塵もない強さに、あえてこうした言葉で不滅の金字塔を讃えたい。
もっとも、どんなに強い王者にも勝負に挑むことへの不安は存在する。今回は何人かの選手のコンディションが万全ではなく、主将の紋谷哲平(60kg級)は両ひじに爆弾を抱えての出場。準々決勝の網野戦では、「相手の弱点を攻めろ」の鉄則通りにそのひじを集中攻撃され、その“関節攻撃”が警告の対象となったほど。
また、個人戦での計量を控えていてリミットから500グラムくらい多いだけの減量状態で戦っている選手もいる。対戦相手の中には、個人戦には出場しないため腹いっぱい食べてマットに上がっている選手もいて、いつものことだが大きなハンディをしいられる。大沢友博監督の気持ちに、周囲が思うほどの楽勝ムードはなかったようだ。
「普通は攻撃のレスリングをさせている。今回はがまんのレスリングをさせざるをえなかった。ワンチャンスで攻撃を仕掛けさせた」。それが当たり、スコア的にハラハラすることはなかったが、決勝戦の最後の120kg級の試合で、渡部文博が第1ピリオドのラスト5秒に技術回避のコーションを取られて落とし、これが響いて負けてしまい、優秀の美を飾れなかったことは不満の残る内容だった。
「(もう1試合落とした74kg級は)2年生で、実力差があったから仕方ないが、最後の試合は意地がないからだ」。すべての試合に5−2以上という内容。万全の状態でない中での優勝であっても、選手たちを褒めることはせず、試合後は叱声(しっせい)をとばし、選手にカツを入れた(写真左)。こうした厳しさこそが、前人未到の大記録をばく進する大きな要因であることは言うまでもない。
今回の優勝で18度目の優勝となり、「20」の大台が見えてきた。大沢監督の母校の日体大が東日本学生リーグ戦で現在までに23度の優勝を飾っており、“母校超え”という目標も視野に入ってきた。だが、同監督の目には、その程度の目標は映っていない。頭の中に描かれているのは「誰も破ることができない記録を樹立すること」。文字通り“不滅の金字塔”だ。
もし高校が認めてくれれば、「体が動くかどうか分からないが、65歳までも指導して、絶対に破られない記録をつくりたい」ときっぱり。圧勝優勝に対しては、いつもながら控えめな言葉しか出てこなかった同監督だが、この言葉が出てきた時の口調は力強かった。
「18度の優勝の中で、特に思い出に残る優勝」を問われ、「子供(選手)たちは違うので、優勝はいつもうれしいんですよ」と話した時、やっと顔に笑みが浮かんだ。大きな目標をもって常に挑戦しているから、喜びはほんの一瞬のことだろう。だが、その“ほんの一瞬の喜び”を求めて、名匠・大沢友博の挑戦は、これからも続いていく。
(取材・文=樋口郁夫)
★霞ヶ浦の最近22年間の成績
年 度 | 選抜大会 | インターハイ | 優 勝 校 |
1984年 | ベスト8 | 3 位 | 選抜・インターハイとも青森・光星学院 |
1985年 | 2 位 | 3 位 | 選抜・インターハイとも青森・光星学院 |
1986年 | 2 位 | 優 勝 | 選抜は青森・光星学院 |
1987年 | 2 位 | 優 勝 | 選抜は埼玉・埼玉栄 |
1988年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1989年 | 優 勝 | (不出場) | インターハイは鹿児島・鹿児島商工 |
1990年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1991年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1992年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1993年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1994年 | 3 位 | 優 勝 | 選抜は北海道・岩見沢農 |
1995年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1996年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1997年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1998年 | 優 勝 | 優 勝 | |
1999年 | 優 勝 | 優 勝 | |
2000年 | 優 勝 | 優 勝 | |
2001年 | ベスト16 | 3 位 | 選抜・インターハイとも青森・八戸工大一 |
2002年 | ベスト8 | 優 勝 | 選抜は静岡・沼津学園 |
2003年 | 優 勝 | 優 勝 | |
2004年 | 優 勝 | 優 勝 | |
2005年 | 優 勝 | 優 勝 |