【特集】メダルは逃したものの、収穫あった初の世界選手権…男子フリー55kg級・松永共広





 日本レスリング界の22年間の思いがぎっしり詰まった金メダル獲得はおろか、メダル獲得の期待もお預けとなった。

 「力不足。1からやり直しです」。3位決定戦で敗れた男子フリースタイル55kg級の松永共広(ALSOK綜合警備保障)は、そう言い切った。「せっかく3点をリードしたのに…」。第1ピリオド、3点というリードをたった一発のタックルで帳消しにされ、以後、ビハインドを取り戻せなかったことに悔いが残った。

 2回戦で02年の世界王者レネ・モンテロ・ルイス(キューバ)に絶体絶命の状況から逆転勝ちし、03年世界王者のディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)とも大接戦の末の惜敗
(写真右)。世界の舞台で持っている実力の一端は出したものの、最後の試合に勝つことができなければ、喜ぶことはできない。「キューバ戦も負けていたようなものですし…。タックルで取れたポイントが少なかった」。勝負にかける男の意地が、喜びのコメントを口から出させなかった。

 今大会でまず目標にしていたのは、5月のアジア選手権で惜敗したマンスロフだった。準決勝で惜敗し、1時間もしないうちに3位決定戦。気持ちが乗らなかったことは十分に予想されるが、「それは関係ありません」。いかなる言い訳も口にせず、1からの出直しを誓った。

 しかし、大会をこなすごとに、何かをつかみ、強豪をつぶしていっているのは、今年の闘いの軌跡をたどってみると一目瞭然だ。冬の欧州遠征で2大会連続優勝を経験し、世界で勝つ味を知った。5月のアジア選手権では前世界チャンピオンのマンスロフに大善戦。

 8月のジオウルコウスキ国際大会では、五輪V2(96年アトランタ五輪・00年シドニー五輪)のナミク・アブデュラエフ(アゼルバイジャン=この大会5位)を撃破し、欧州王者のゲンナディ・チュルビア(モルドバ=この大会10位)も破った。その大会の準決勝で勝ったロシア選手(ザリムカン・クツェーフ)は、この大会にロシア代表として出てきた選手だ。

 そして本人は納得していないが、この大会で02年世界王者を破った。和田貴広コーチは、厳しい注文も口にしたものの、「間違いなく世界の6本の指には入っている。北京五輪で金メダルを狙えるスタートラインには立った」と分析。金メダルも期待されていただけに、5位という結果に不満は残っても、来年以降の金メダル獲得の基盤をつくったことは間違いない。

 和田コーチも現役時代、アジア選手権2位の実績を引っ下げて初めて世界選手権に出場した93年大会は初戦敗退に終わっている。翌94年は11位に躍進してアジア王者へ。そして95年に世界2位へと駆け上った。この階級の新たな伝統をつくった田南部力も、世界選手権では初出場の98年が11位で、最高は02年の6位だった。順位だけからいえば、もう田南部の軌跡を十分に越えたことになる。初出場で5位は決して悪い結果ではないのである。

 1大会ごとに強豪をつぶし、何かを得ていけば、来年の世界選手権こそが楽しみになる。今の松永なら、その成長を期待する力量を十分に持ち合わせている。勝負はまだ始まったばかりだ。

(取材・文=樋口郁夫)




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