【特集】痛恨のラスト2秒! 勝利を逃す…男子フリー120kg級・田中章仁





 「まずは一勝。そして、ひとつでも多く勝つこと」

 2度目の世界選手権に挑む男子フリースタイル120kg級の田中章仁(FEG)はそう目標を建てていたが、あらためて世界のひのき舞台で1勝することの難しさを思い知らされたに違いない。

 2002年、初めて出場した世界選手権(イラン・テヘラン)。日本では想像もできない2万人を超える大観衆が騒然とするテヘランの体育館で、田中は記念すべき1勝をあげた。トーナメント進出をかけたリーグ戦突破はならなかったものの、日本最重量級としては久しぶりの勝利。田中にとっても、かえがえのない財産となったはずだった。

 だが、2003年世界選手権(米国・ニューヨーク)は国内予選で負けて不出場。アテネ五輪は、国内で勝って予選への出場権を取ったものの、勝ち抜くことはできなかった。

 今年は2月のデーブ・シュルツ国際大会(米国)とヤシャ・ドク国際大会(トルコ)でそれぞれ銀メダルと銅メダルを取り、3月のダン・コロフ国際大会(ブルガリア)で5位入賞を果たすも、5月のアジア選手権(中国)、8月のユニバーシアード(トルコ)では黒星続き。それだけに、この大会にかける意気込みは相当なものだった。

 初戦の第1ピリオドから、田中は爆発した。トビンシントル・エンフトヤ(モンゴル)に片足タックルを決め1ポイント獲得すると、攻め込むスキを全く与えず、1分55秒経過。ところが残り5秒、ゾーン際でもつれると田中の足がわずかに場外へ。あ然とした顔で田中が時計を見つめたとき、終了のブザーが鳴った。

 第2ピリオド、田中は飛行機投げを決め3−0で奪ったが、第3ピリオド続けざまにバックを取られ1−2。結果、ピリオドスコア1−2の判定で敗れ、1回戦敗退に終わってしまった。

 試合後、「情けない試合でした。攻め込んでいけばポイントが奪える相手だったのに。気持ちが折れてしまいました」と語った田中にとって、悔いが残る第1ピリオド。あと2秒堪えていれば、いやその前に守りに入らず攻め続けていれば、世界選手権で3年ぶりに白星を獲得することができたのに。

 120kg級に出場しながら、田中の体重はわずか100kgそこそこ。筋力トレーニングを続けパワーは格段にアップしてきたものの、本人曰く「試合で継続して発揮できる力はついていない」

 それでも、96kg級への階級変更の可能性を尋ねられると、田中はきっぱりと否定した。「120kg級は自分の階級。自分は120kg級日本代表ですから、この階級で北京をめざします」 

(取材・文=宮崎俊哉)




《前ページへ戻る》