100日合宿がスタート




 アテネ五輪の男子代表選手による「100日合宿」が5月6日、東京・国立スポーツ科学センター(JISS)でスタート。仕事の関係でフリースタイル84kg級の横山秀和(秋田・秋田商高教)、アジア選手権出場のためグレコローマン74kg級の永田克彦(新日本プロレス職)は欠席したが、フリー55kg級の田南部力(警視庁)らが集合。初日は福田富昭会長が訪れ、「最初の3分間で勝負しろ」とゲキを飛ばした。

 1988年ソウル五輪前に行われた500日合宿にならい、昨年も世界選手権前に実施した「100日合宿」。今年も五輪代表選手によって行われ、6月の欧州遠征や7月末の長野・菅平合宿などを除き、JISSに常泊して練習する。


 500日合宿 87年5月から88年9月のソウル五輪前まで、東京五輪の選手村だった東京・参宮橋の青少年総合センターで実施した合宿。野田哲由トレーナー(現Jリーグ、アビスパ福岡トレーナー)が常泊し、当初は各所属の監督やコーチが交代で泊り込み、88年4月からはモントリオール五輪金メダリストの高田裕司・現日本協会専務理事が当時の群馬・館林高教員を休職して常泊。選手の指導に専念した。

 88年5月にソウル五輪代表が決まるまでは、階級によっては日本代表を争う2、3選手が同宿。ライバル意識が充満。この合宿を経て、フリー48kg級の小林孝至、同52kg級の佐藤満がともに金メダル、同90kg級の太田章、グレコ52kg級の宮原厚次がともに銀メダルを取った。

 近くに代々木公園があり、ランニングする場所には不自由しなかったが、マットが常設されていたわけではなく、食事も一般のセンター使用者と同じだった。今回のJISSは、マットが常設されており、ウエートトレーニング場やメディカル施設が完備。栄養士のつくったスポーツ選手向けの食事が提供される。他競技のナショナルチームも合宿し刺激になるなど、環境的には500日合宿より恵まれている。



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