【特集】悔しさの前に、現役続行宣言…永田克彦



 階級区分の変更により、5kg重い階級での闘いを余儀なくされた永田克彦(新日本プロレス職)。74kg級としては実績のない“新参者”であるにもかかわらず、常に“シドニー五輪銀メダリスト”という前置きをつけられてアテネ五輪まできた。結果は2戦2敗で予選リーグ突破ならずに2度目の五輪を終えた。

 1回戦のダニアール・コボノフ(キルギスタン)は5月のアジア選手権で勝っている相手だが、ローリングを先に受けてしまい、自らの攻撃の時にエスケープポイントで痛恨の3点目を失うミス。「相手も研究してくる。自分に甘さがあった」と悔やみ、2回戦でもこの大会で銀メダルを獲得したマルコ・イリハンニクセラ(フィンランド)の前に2度のパーテールポジションのチャンスを生かせなかった
(写真左)

 「1回戦では、最後はかなりばてていたようだが…」と聞かれると、「力を残さずにやろうと思ったから」と、力の限り戦ったことを強調したが、「オリンピックは勝たなければ意味がない」と、力を出し切ることではとても満足できない心境を話した。

 日本からはプロレスラーの兄・裕志さんも応援に来ており、その声はしっかりと聞こえたという。「応援がすごかっただけに、何とか勝ちたかった」と悔やんだ。

 「銀の上は金しかない」と周囲に言うことで自らを鼓舞し、「アテネが最後」とも。しかし2連敗という結果に、このままマットを去る気持ちはなくなった様子だ。「このままじゃ終われない。この悔しさを忘れずに次につなげたい」と、現役続行宣言とも思える言葉が何度も続いた。

 「アテネが最後」という言葉と連動して、報道陣の間には、この悔しさを次の戦いの舞台(プロレスまたはプロ格闘技)にぶつけると解釈する向きもあったが、あとで再確認すると、プロ入りは考えていないもよう。やはりレスリングのマットで、この屈辱を晴らしたいようだ。

 「北京五輪?」という言葉には、思わず噴き出したが、世界へ目を向けもう一度、世界選手権級の大会のメダルを目指して、闘いは続くことだろう。

(取材・文=樋口郁夫)



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