【特集】久古敏章主将の英断で優勝…6年ぶり優勝の日大



 5月13〜16日に東京・駒沢体育館で行われた2003年の東日本学生リーグ戦は、日大が6年ぶり6度目の優勝を飾った。決勝で顔を合わせたのは日大と日体大。日大が予選で拓大に1敗を喫しての決勝進出だったのに対し、日体大は7戦全勝。49試合のうち、負けたのはいずれも1ポイント差の3試合だけで、失った総ポイントは48ポイント。勢いは日体大の方が断然あった。

 しかし、55kg級で日大の斉藤将士が大激戦の末、終了間際に決勝ポイントを取って菅原剛志を6−4で破ると、流れは日大へ傾いた。富山英明監督は「これで74kg級で決められる。66kg級で落としても、96kg級までに決まる」と思ったそうだ。その66kg級もマキソモ(ベネズエラ出身=宮城・仙台育英高卒)が3−0で児山佳宏を破り、この時点で優勝の可能性がいっそう色濃くなった。

 74kg級をポイントゲッターの中筋裕太が決め、早々と優勝が決まった。一方的な展開に意外な表情の周囲とは裏腹に日大ベンチや応援団は沸き立ち、勢いに乗って96kg級では期待のルーキー、松本真也(京都・網野高卒)が1階級上のクラスへの出場にもかかわらず明治乳業カップ全日本選抜選手権4位の森山政秀を破る殊勲も挙げ、6−1と圧勝。6年ぶりの美酒を彩った。

 日大は1997年に団体3タイトルを獲得したあと、98年に全日本大学選手権などで優勝しているが、どの指導者も言うとおり、富山監督も「大学選手権での優勝とは比べものにならないほどいい気持ちだ」と言う。「7試合総当り+決勝戦」という長丁場の勝負では、けがなど予期せぬことも起こり、戦力がそろっていても思うように勝てないこともある。それだけに、喜びの度合いが違うようだ。

 富山監督が勝因のひとつに挙げたのが、久古主将の決断だっだ。先鋒となる55kg級での勝敗はチームを大きく左右するので、久古主将と斉藤とどちらを起用するか迷ったという。団体戦ということを考えれば久古主将だが、菅原に対しては3年生の斉藤の方が相性がいい。迷っていたところ、久古主将から「チームの勝利を考えて選手を起用してください」と言ってくれ、迷いが消えて斉藤を使ったという。

 「ここ一番の試合に出してやれなかったのは申し訳なかったが、主将としてやることをしっかりやってくれた」と感謝する。優勝決定後のマットでは、富山監督のあとに胴上げされたのが久古主将。「みんなが彼の力を分っている。彼が率いてくれたからこその優勝なんだよ」と感慨深げだ。

 1997年の優勝は、日体大の19連覇を阻止し学生レスリング界の歴史を変える大きな勝利だった。その年はのちにシドニー五輪を争った宮田和幸、伊藤克佳など選手がそろっていた年でもあった。ことしは、その時より「若干劣る。むしろ来年へ向けて期待を持っていたチーム」だった。1年早い“うれしい誤算”での優勝だったが、「これで来年も勝てる」と、常勝チームを築く基礎ができたことにうれしさは隠せない。

 ただ、決勝進出がほぼ決まっていたあとの試合だったが、拓大に負けたことは引っかかる。「秋までにはしっかり鍛えて、王座決定戦(9月)ではリベンジする。勢いをつけて、全日本大学選手権でも勝つ」と、6年ぶりの3冠王へ燃える富山監督だった。


 ○…予選での全試合圧勝が一転して完敗し、4年ぶりの優勝を逃した日体大の安達巧監督は「55kg級がすべてです」と、最初の試合の競り負けを敗因に挙げる。「ここで勝っていたら…」という言葉が出てきそうだったが、「何を言っても、結果論ですよ」と苦笑い。

 メンバーを見渡してみると、高校時代に名を上げていたのは55kg級の3選手(清水聖志人、菅原剛志、和田宗法)と96kg級の米山祥嗣くらい。大部分の選手が日体大へ進んでから力をつけた選手。「時間をかけて育ててきた選手ばかり。あと4か月あれば、もっと強くなります。王座は絶対に勝てます」という安達監督の言葉は、決して負け惜しみではなさそうだ。



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