世界のメダルを持たない世界王者候補…世界フリー選手権




 世界フリースタイル選手権(9月5〜7日、イラン・テヘラン)の55kg級の計量の日、現地イランのジャーナリストから声をかけられた。彼の言葉は意外な内容だった。最後の調整トレーニングをしていた田南部を指して、「今年は、タナベがチャンピオンになるんじゃないか?」というのだ。イランの地元開催であるにもかかわらず、イラン代表選手を差し置いて、田南部は高い評価を受けていた。

 これまで田南部は、世界選手権では優勝どころか、表彰台にすらのぼったことがない。シドニー五輪の第二次予選東京大会で優勝したが、世界中の選手が出場する大会での最高位はシドニー五輪の10位。アジアでの優勝経験もない。その選手が、なぜ「世界チャンピオン最右翼」と言われるのか。

 世界選手権でのメダルとは縁が薄かったものの、シドニー五輪を前にした頃から、田南部は世界での評価をあげる結果を残してきた。まず2000年のヤリギン国際大会で2位入賞。この大会は米ドルで支払われる賞金とロシアの国内プレーオフも兼ねた大会で、世界選手権よりも激戦といわれた。シドニー五輪でも上位への食い込みが期待された。しかし五輪での結果は10位。「これで最後にする」とまで思いつめて挑んだ檜舞台での結果は、満足のゆくものではなかった。

 悔いを残したまま2001年となり、東アジア大会に日本代表として出場。優勝目指すが、苦手にしているマミロフ(カザフスタン)に敗れ3位に終わる。その後、さらに世界で戦うために日本代表を目指すが、進境著しい松永共広、長年のライバルである長尾勇気に行く手を阻まれた。「去年で辞めるつもりでいたから」。日本代表を取り逃したあと、ふてくされたような口調で田南部は答えた。本来のペースを取り戻せないいらだちは、なかなかおさまらなかった。

 約1年のブランクの後、今年、再び日本代表になる。夏のロシア遠征では、各国の強豪が集うベログラゾフ・カップ(ロシア・カリーニングラード)で優勝。帰国した田南部の口からは「イランは縁のある場所だから、結構いけるんじゃないかな」と、昨年の不機嫌さがうそのような自信にあふれた言葉ばかりが出た。

 イランに到着してからも、好調は続いていた。トレーニング場での動きも軽快で、「今年はいけるよ」と富山監督も期待を隠さない。自国の選手を高く評価したい外国のプレスからも、田南部の好調さは明らかで、冒頭のイランのジャーナリストの言葉につながった。

 大会初日、日本チームの初戦に田南部が登場。得意とする片足タックルからのアンクルホールドを次々と披露し、1分45秒テクニカルフォールで終了。続く予選リーグの2試合目、ジョレヴ(ブルガリア)にはローリングで2点を先制された。田南部が仕掛けてくるのを待ち続ける相手のペースにやりにくさを感じたが、その後、失点を許さず延長7分39秒、3−2で勝利。ベスト8に残った。

 表彰台を目指してあと1試合。アチロフ(ウズベキスタン)との試合は、タックルからアンクルホールドという得意パターンを封じられた。第1ピリオドは2−2で終了したものの、第2ピリオド、みずからの攻撃が相手の得点源になる矛盾した展開になった。焦って無駄な動きが増える間に時間が過ぎていった。終盤、1点取り返すものの追いつけず、3−5で終了した。

 「取られたポイントは、全部が同じローリング。日本で練習していて、日本人より手足が長く、握力が強い外人相手の防御が不完全になっていた。変えなくちゃいけない」

 冷静に状況分析をしながら、田南部の口からは何度も「さみしい」という言葉が出た。優勝するつもりでいたし、できると実感していたのに、大会初日で試合がすべて終了してしまった。その不完全燃焼が言わせているのだろう。それでも、手ごたえを感じることができる内容でもあった。

 「国際大会で成績を残して、ずいぶんと対策を練られているらしい」。困ったことだと苦笑いしながら、マークされる快感もある。得意技を封じる相手のさらに上を超えてやろうという闘争心もわいてくる。

「来年こそは、表彰台の一番上ですよ」。アテネ五輪予選となる来年の世界選手権では、「さみしい」ではなく「うれしい」を連発する田南部に会えるかもしれない。(文・横森綾)



《前ページへ戻る》